文化・世界観

染付とは何か──青絵付けの技法と歴史

染付(そめつけ)とは、白磁の生地に呉須(ごす)と呼ばれる青い顔料で文様を描き、その上から透明の釉薬をかけて焼き上げる陶磁器の技法です。「下絵付け」と呼ばれる技法の代表格で、絵柄の上に釉薬の層ができるため色が剥げにくく、日常使いに強いという実用面の利点もあります。aoshiroの器も、この染付の技法をベースにしています。

呉須という顔料の正体

染付の青を生み出しているのは、呉須と呼ばれる顔料です。呉須の主成分は酸化コバルトで、天然の呉須は古くから希少なため、江戸時代の日本でも中国から輸入されていました。19世紀に入ると、化学的に精製した「人造呉須」も使われるようになり、より安定した発色が可能になっています。

面白いのは、呉須で絵を描いた直後は黒っぽく見えるという点です。器を約1300度、酸素の少ない「還元焼成」という条件で焼き上げると、コバルトの電子の並び方が劇的に変化し、ガラス質の釉薬の中で特定の波長の光だけを選び取るようになります。その結果、残った光が青として私たちの目に届く——これが染付の澄んだ青が生まれる仕組みです。焼く前と焼いた後で色がまったく違って見えるのは、陶工にとっても仕上がりを予測する技術が問われる部分です。

染付の歴史:中国からシルクロード、そして日本へ

染付のルーツをたどると、9世紀ごろの中国にまでさかのぼるとされています。インドネシア沖で発見された沈没船(黒石号)からは、この時代の染付の小皿が見つかっており、すでに青い絵付けの技術が存在していたことがわかっています。

技法として大きく花開いたのは、元時代(13〜14世紀)の景徳鎮です。当時の中国にはコバルト顔料の産地が無く、シルクロードを通じてイスラム世界からもたらされたコバルトを使うことで、染付(青花)の技術が完成しました。この元時代の染付は、大型の器物に文様を隙間なく描き込んだ力強い作風が特徴で、中近東などへ盛んに輸出されています。

15世紀には、朝鮮半島やベトナムにも染付の技法が広がりました。そして日本では17世紀、佐賀県の伊万里・有田で本格的な染付磁器の生産が始まります。当時、明から清への王朝交代の混乱で中国製磁器の輸出が滞ったことも追い風となり、日本の染付磁器はヨーロッパへも輸出される主力商品に成長しました。

なぜaoshiroは染付を選ぶのか

染付は、華美な上絵付けとは違い、青一色の中に濃淡や滲みの表情が生まれるのが魅力です。派手すぎないぶん和食にも洋食にも合わせやすく、江戸時代から庶民の食卓にも広く普及してきた「暮らしの色」でもあります。aoshiroが青と白の染付にこだわっているのは、こうした歴史に裏打ちされた実用性と、毎日使っても飽きのこない静かな存在感があるからです。

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よくあるご質問

染付とはどういう意味ですか?

白磁の生地に呉須(ごす)と呼ばれるコバルト顔料で文様を描き、その上から透明の釉薬をかけて焼き上げる陶磁器の技法、またはその技法で作られた器のことです。「下絵付け」の一種で、絵付けの上に釉薬がかかるため、絵柄が摩耗しにくいという特徴があります。

呉須はなぜ青く発色するのですか?

呉須の主成分である酸化コバルトは、絵付けの時点では黒っぽい色をしています。それを約1300度・酸素の少ない還元焼成で焼き上げると、コバルトの電子構造が変化し、ガラス質の釉薬の中で特定の波長の光だけを反射するようになり、深い青として目に映るようになります。

染付はいつ頃から作られていますか?

染付の起源は9世紀ごろの中国とされ、元時代(13〜14世紀)の景徳鎮で技法が完成しました。日本では17世紀に佐賀県の伊万里・有田で本格的な生産が始まり、以降ヨーロッパへも輸出される主力商品になりました。